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ホット 2014Louis Vuitton-ルイヴィトン ユタ アパシュ M95452 ブリーフケース安い空前編集

 一九五九年 二百九十万トン  であった。  しかもアメリカは、協定により国際市場価格よりも、一ポンド(四百五十四グラム)当り、平均して一、二セント高く買っていた。もっとも、その代償として、アメリカの繊維製品は特恵関税をうけ、砂糖に見合う分以上の割り戻しを実質的にはうけていた。  そういう経済的な武器を背景に、アメリカはキューバと農地問題を中心として交渉しようとした。キューバがわは、これに対して、会談中に砂糖買付けを切り下げないという条件で、会議のテーブルに出てほしい、と要求した。むろん、アメリカはこれを拒否した。以上は、一九六〇年の三月初めのことであるが、それ以前の二月四日に、ソ連の“商人”ミコヤン副首相がキューバを訪問し、向う五年間に毎年百万トンの砂糖を買付けることを約束していた。(このうちドル建ては二〇パーセント、残りはバーター)  結局、アメリカは、一九六〇年には買付けを七十万トン削減し、翌年からは一切を停止してキューバ経済を苦境に追いこむのであるが、チェが財政経済の総元締として身を粉にして働いたのは、この苦難の時期であった。かれは一九六一年二月、機構改革で新たにつくられた工業省の責任者の地位につくまで国立銀行総裁をつとめ、その間、一九六〇年十月から十二月まで、キューバ経済使節団長として、ソ連、チェコスロバキア、中国、北朝鮮などの社会主義諸国を歴訪した。  その後もかれは、しばしばキューバの代表として多くの国際会議に出ているが、実際問題として、カストロに代ってあらゆる問題について発言し交渉しうる能力のある人物は、勉強家で柔軟な頭をもったチェしかいなかったともいえるのである。カストロがキューバの心臓ならば、チェはその頭脳であるといわれたのも、このころであった。  31 キューバ侵攻  日を重ね、月を経るに従って、革命キューバとアメリカ合衆国との関係は、険悪化の一途をたどった。それは、弾みのついた石塊が坂道を転がり落ちるようなものであったが、それを救うものがあるとすれば、アイゼンハワーに代る希望の星ジョン・F・ケネディであった。一九六〇年秋の大統領選挙で、ケネディはニクソンを破って、第三十五代のアメリカ合衆国大統領に選ばれていた。  若い大統領がじっさいにホワイトハウスに入れば、という期待は、キューバ人たちの間にも生まれていた。  しかし、現実政治の歯車は、人間の希望とは無関係な力によって動くものである。ケネディ個人は、キューバ関係の改善に必ずしも不熱心ではなかったが、合衆国政府としての歯車は、前政権の敷いた軌道に沿って、ある期間は動かざるを得ないのである。さらにいえば、ケネディのブレーンたちのなかに、キューバ革命に好意や、好意とまではいかなくとも理解をもつものは少なかった。かれらはニュー・フロンティア・スピリットに燃え立ってはいたものの、ラテン・アメリカに対する感情や評価の点では、歴代政府の高官と大差はなかった。アメリカの意思に反抗するものは、かりにそれが正当の理由を秘めていようとも、アメリカの敵であった。  主として外交問題の特別補佐官であったA・M・シュレジンガーでさえも、その例外ではなかったことが、その回顧録『一千日』(邦訳『ケネディ』中屋健一訳)からもうかがえる。かれの分析によれば、革命前のキューバはそれほど絶望的な状態ではなく、人口ひとりあたりの収入では、ラテン・アメリカ諸国の中で第四位、工業生産で五位、自動車とラジオの普及率では第一位だったというのである。「キューバが深刻な経済問題をかかえ、アメリカに比べて生活水準が低かったとしても、ハイチやボリビアと比べれば、ずっと裕福であった。革命のかげにある直接の動機は、経済と同様政治にもあり、革命の指導者たちも、農民や労働者ではなく中産階級の人たちであった」と書いている。  さすがに露骨に書いていないが、この文章を読むと、アメリカよりも貧乏かもしれないが、ボリビアやハイチよりも楽に暮せるのだから、何も不服をいうことはないじゃないか、といいたげであり、まるで主人が従僕の不満を、いわれのないものとして怒っているような口調でさえある。  革命の指導者たちについての分析も、それが誤っていることは明白と思われるが、シュレジンガーのこの偏見は、そのままアメリカ政府の偏見でもあった。アメリカは、カストロが行なった大土地所有制度の禁止——それはアメリカ資本の大損害になった——を共産化とみなし、それは、シュレジンガーの言葉を借りれば、「革命の堕落」というのであった。  一九六〇年十一月十七日、すでに大統領当選者となっていたケネディは、CIA長官のアレン・ダレスから、反カストロのキューバ人亡命者たちがCIAの指導のもとに、グアテマラ国内で軍事訓練をうけている旨の報告をうけた。この計画はすでに六カ月前から着手され、ゲリラの基本的な訓練はすでに終了し、上陸作戦の演習段階に進んでいた。  ケネディは、ダレスから話を聞き終ると、その計画はそのまま進めたまえ、といった。このケネディの言葉について、シュレジンガーは、計画は計画としてそっとしておき、じっさいに大統領の椅子に坐ってから、もう一度検討するつもりだったのだ、と説明しているが、ダレスは、確定せる未来の大統領の事実上の承認とうけとった。そして、うけとったとしても、この場合はダレスを責めることはできないだろう。CIAは以前にもまして、キューバ侵攻計画を強力に推し進めて行った。  年があけてケネディが大統領に就任してから、CIAと統合参謀本部は会合を重ね、侵攻の具体的な計画をねりはじめた。そして、三月下旬にはそれはすっかり固まった。 ★
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